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「思春期における反抗の意味について」

皆さま、こんにちは。急に寒くなってきましたね。今年もあと少し、あっという間の1年だったように感じています。皆さまは如何でしょうか。

 さて、先日、思春期における反抗期についてお話させて頂く機会がありました。今回のブログはその時の内容と重複する部分もありますが、思春期における反抗の意味について書いてみたいと思います。

 思春期は第二次性徴の開始とともに始まると言われていますが、近年はその低年齢化が指摘されています。思春期の終始には個人差がありますので一概には言えませんが、早いと小学校中学年の年齢で開始する子もいるのではないかと思います。

 思春期になると思考も抽象化が進み、客観的に物事を考える力がついてきます。そうして親や教師をはじめ周囲の大人達のこともこれまでとは違って、少し引いた目で見るようになってきます。それまでは親や教師の言うことは絶対的に正しいと信じていたのに、それはどうなんだろう?と疑問を持つようになってきます。矛盾した言動や一貫性のない行動は不信を招き、距離を取り始めたり、攻撃的な言動をぶつけてくる子も出始めます。そうなると、疾風怒濤、嵐の時代の幕開けです。子ども自身も危ない橋を綱渡りするような感じで、発達加速化現象の影響もあって心身ともに不安定な時期となります。中学に入ると教科担任制や部活動での上下関係など、環境面の変化も加わり、さらに難しい時期となります。

 私が学校現場で子どもたちの様子を見たり、訴えを聴いた印象では、子どもたちにとって理不尽を思われること、例えば、騒いでいる子を注意しない、注意の仕方に差がある等、があると不満に感じることがあるようです。また、今、宿題をやろうと思っていたのに親から「宿題を早くやりなさい!」と叱られて一気にやる気が失せた等というエピソード、このような親御さんの声かけを“へこませトーク”と名付けていらっしゃった先生がいますが、まさにこの“へこませトーク”については多くの児童・生徒がうんうんと頷いて、我が意を得たりといわんばかりの反応が返ってきます。

 それじゃあ、親はどうすれば良いのかと考えると、もうこれは、例えば宿題の例ならば、宿題は子どもの課題だから子どもに任せておく、言い換えると、子どもを信じて見守るようにするのが良いのではないかと思います。ただ、全く放置するのではなく、いつでも相談に応じる用意があることは伝えておくとか、宿題に取り組みやすいように静かな環境を用意する等、サポートできることはやるようにすると見守るという形に近づいてくるのではないかと思います。

 一貫性のない言動についてはどうしても大人の都合で発生しますが、子どもが納得できるような説明ができないなら、一貫するように努力する姿勢を見せた方が良いのではないかと考えます。

理不尽さについては子どもの反応によって気づくことが出来ればそれを機に改められるよう意識して行動することが大事なのではないかと思います。

 いろいろと書きましたが、私も思春期の児童・生徒と接する中で悪戦苦闘、四苦八苦している身の上です。試行錯誤しながらも何とか、怒涛の時代を乗り越えて大人になってくれるのを願いつつ、止まない嵐はない、そう信じて毎日を過ごしています。

 ある精神科の先生は、反抗は子どもが、この大人なら反抗しても大丈夫と信じているからこそ生じてくる、それは子どもの心が健康に育っている証拠である、反抗はいつまでも依存し続けて自立できなくなるのを防ぐために予め組み込まれたプログラムであり、ある日突然起こってくるものである、と書かれています。これらの言葉を胸にこれからも思春期の子どもと関わる皆さまとご一緒に子どもたちを支えていければ幸いです。

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